市民公開講座

日本癌学会主催 第23回日本癌学会市民公開講座

講演1 「胃がんで亡くならないために何をなすべきか」

浅香 正博 先生(北海道大学大学院医学研究科がん予防内科学講座特任教授)

保険でできるようになったピロリ菌除菌

がんの予防は簡単ではありませんが、原因がはっきり分かれば手を打てる場合もあります。その好例が感染症によるがんです。

がんの原因になる要素には感染症のほか、喫煙や生活習慣、遺伝などがありますが、日本人の場合は感染症によるがんが計25%程度と、米国の10%、欧州の6%より高いことが分かっています。感染症によるがんは、ヒトパピローマウイルス(HPV)による子宮頸(けい)がんが2〜3%、肝炎ウイルスによる肝臓がんが10%、最も多いのがピロリ菌による胃がんの15%です。

今、日本人がかかっている胃がんの98%はピロリ菌感染によるものです。ピロリ菌は1982年に発見され、その後にがんだけでなく胃潰瘍や十二指腸潰瘍にも関連することが分かりました。

ピロリ菌に感染すると、数週から数カ月でピロリ感染胃炎を発症します。これは“病理学的な慢性炎症”であって、症状がない場合もあります。この状態になると、日本人の場合は8割以上が萎縮性胃炎という胃酸の出ない状況に陥ります。さらに、このうち1%未満が分化型胃がんへと進行するのです。

萎縮性胃炎にならず、ピロリ感染胃炎から直接発症する病気もあります。胃・十二指腸潰瘍や胃MALTリンパ腫、機能性胃腸症(FD=機能性ディスペプシア)、胃ポリープ、特発性血小板減少性紫斑病(ITP)といった病気です。女性に多い未分化型のスキルス胃がんもピロリ感染胃炎から生じます(図1)。

図1 ピロリ菌感染で引き起こされるさまざまな病気

こうした状態を招かないためにも、ピロリ菌に感染していることが分かったら除菌することが大切です。2013年2月から、これまでの胃・十二指腸潰瘍の患者に加え、ピロリ感染胃炎の患者に対してもピロリ菌除菌療法に健康保険が使えるようなりました。分化型胃がんについてはすでに胃粘膜の萎縮が進んでしまっているため(萎縮性胃炎)、ピロリ菌除菌による予防効果は少々効率が悪くなると考えられていますが、分化型以外の胃がんはピロリ菌除菌でほぼ予防可能と思われます。

ピロリ菌除菌で十二指腸潰瘍は過去のものに?

ピロリ菌は人の胃粘膜にすみ着き、どんな胃薬を飲んでも消えません。しかし除菌療法を行えば、その後は何もしなくても除菌状態が維持できます。

ピロリ菌が原因の胃・十二指腸潰瘍に対するピロリ菌除菌の効果は特に劇的です。除菌できなかった時代には、胃潰瘍で65%、十二指腸潰瘍では80%以上が1年以内に再発していましたが、ピロリ菌除菌を健康保険で行えるようになってから、年間再発率は2〜3%に激減しました(図2)。古くから日本人を苦しめてきた十二指腸潰瘍は、10〜20年のうちに日本から消えるでしょう。そのくらい、原因をなくしてしまう治療法は強烈な効果を発揮するのです。

図2 胃・十二指腸潰瘍の1年以内の再発率

では、ピロリ菌除菌によってどこまで胃がんは予防できるのでしょうか? それを証明するため、われわれは一番胃がんになりやすいグループ―早期胃がんを内視鏡で摘出した人の再発率を追跡する研究(JGSG研究)を行いました。除菌を行ったグループと行わなかったグループで、3年間の再発率を調べたのです。その結果、除菌によって胃がんの再発を抑えられることが分かりました(図3)。

図3 ピロリ菌除菌による胃がん再発率の変化

ピロリ菌除菌は胃がんの再発を60%抑えるものの、100%ではないことが分かってきました。さらに、高齢になってから除菌しても抑制率は20〜30%にとどまること、逆に若ければ若いほど予防効果が高いことも分かったのです。

ピロリ菌除菌は胃がん予防に必須

ピロリ菌感染者は全員除菌しなければならないのかと尋ねられることがあります。答えは「イエス」です。

ピロリ菌には、「CagA」という遺伝子を持つ非常に毒性の強い種類があります。欧米人ではCagAのピロリ菌を持っている割合が2割ほどなのに対し、日本人では9割以上。しかも、中でも胃がんを引き起こしやすい東アジア株が大半を占めているのです。

ピロリ菌がいても、炎症さえ抑えればがんにならないのではないかという指摘もあります。しかしそれは誤りで、ピロリ菌がいる限り発がん作用は解消しないことが最近、分かってきました。

ピロリ菌が胃がんを引き起こす仕組みを世界で最初に示したのは、北海道大学大学院医学研究科教授の畠山昌則氏(現東京大学大学院医学系研究科教授)です。ピロリ菌が胃の粘膜にピタッとくっつき、そこから注射器のようなものを伸ばしてCag Aタンパク質を注入し、細胞の増殖を促進するSHP2を活性化して細胞増殖を引き起こすという理論です(Science 2002; 295: 683-686)。  http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11743164

その後、もう一つの仕組みとして、ピロリ菌に感染すると「AID」という酵素が胃粘膜に誘導され、本来がんを抑えるはずの遺伝子を変異させてしまうという理論も示されました(Nature Medicine 2007; 13: 470-476)。さらに別の研究から、ピロリ菌に感染することで胃粘膜を作る遺伝子が使えなくなる“DNAメチル化”が誘発されることも明らかにされました(Cancer Research 2010; 70: 1430-1440)。
 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17401375
 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20124475

これら日本発の3研究に続き、ドイツの研究者からは、ピロリ菌に感染することで胃粘膜の細胞(胃上皮細胞)の核にあるDNAの二重らせん鎖の切断されることが報告されました(PNAS 2011; 108: 14944-14949)。二重らせん鎖の切断は、がん発生の強力な原因です。
 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21896770

こうして、ピロリ菌がいる限りは胃がんを抑えられないことが明らかになったのです。

10代でピロリ菌検査を

日本では胃がんの5年生存率(診断されてから5年後の生存率)が60%と高く、治療後、普通に社会復帰されている方がたくさんいます。しかし、これは日本だけ突出した成績で、他の国では10〜20%程度。日本では胃がん検診が普及していて、早期に診断・治療できるため、これほど生存率が高いのです(図4)。

図4 胃がんの国別5年生存率

それにもかかわらず、胃がんによる死亡は50年前と変わらない年間5万人にも上ります。ただ、ピロリ菌の対策が行えるようになったことで、この状況を変えられる可能性が出てきました。

われわれは今、10歳代のうちにピロリ菌の検査を受けることを提案しています。若いうちに除菌しておけば、胃がんだけでなく胃潰瘍、ポリープなどの胃の病気を将来にわたってほとんど予防できるからです。現在、全国のいくつかの自治体でこの案が予算化され、中学・高校生に対するピロリ菌検査が行われるようになってきました。

若者以外では、ピロリ感染胃炎を検査する目的で消化器内科を受診してほしいと思います。もし、ピロリ菌が陽性だったら、健康保険を使って除菌療法を受けることができます。

萎縮性胃炎があると言われた人は、除菌の後も数年に一度は検診も受けた方がよいでしょう。そうすれば、がんになっても早期発見ができ、胃がんで死亡する可能性が低くなるのです。

多くの方が医療機関を受診し、ピロリ菌を除菌する人の数が増えれば、日本の胃がん死亡者数は今後、もっと減るでしょう。ピロリ感染胃炎へのピロリ菌除菌療法に健康保険が適用された2013年は、いわばわが国の胃がん撲滅元年です。今や、胃がんで亡くなるのは“もったいない”時代になっているのです(図5)。

図5 わが国の胃がん死亡者数の推移予測

(企画・制作:あなたの健康百科